お知らせ

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2024/09/27

校祖祭での校長先生講話から学ぶ

9月27日は本校を創立された校祖、摺河静男先生のご命日にあたり、この日を校祖祭としています。本校生徒は校祖先生をお偲びし、心静かに落ち着いて過ごす一日です。

校祖先生は、1892年(明治25年)まだ江戸時代の雰囲気が色濃く残る時期に岡山県備前市でお生まれになられました。文武両道を旨とし、剣の手ほどきを受けられ、「突き」を得意とし「先んずれば人を制す」を座右の銘として、「敵なし」と言われるほど鍛錬をなさいました。

早稲田大学卒業後、飾磨郡役所(現兵庫県庁)にお勤めになられていたそんなある日、泣きながら帰り道をとぼとぼ歩く一人の女学生に出会います。聞くと、旧制女学校の入学試験に落ちてしまったとのこと。当時、女子の進学できる学校が少ないことに気づき、創立を思い立たれたのでした。

大正ロマンと聞くと華やかなイメージがありますが、第1次世界大戦で世界経済が疲弊し世界恐慌へと進む大正時代前半は男女格差が大きく女性の仕事も限られていました。

これからの社会にあって女性の重要性を実感し、社会進出を夢見て誇りをもって生きる女性の育成をめざし、その実現のために私財を投げ打ち30歳で共愛裁縫女学校を設立されました。先見の明を持たれたその志によって、その後着実に発展して行ったのです。

ところが、戦況がいよいよ悪化し、1945年4月には姫路に爆弾が投下され、学校の校舎や門が倒壊してしまいました。失意のなか、それでも学校再建のために東奔西走されるさなかの1946年(昭和27年)9月27日、廃材とトタンだけとなった質素なご自宅で55歳の生涯を閉じられたのです。

その校祖先生が作られた教育理念の礎である建学の精神「地域社会の要求に応じ、新しい国家社会の建設と、望ましい家庭生活を創造しうる有能な女子を育成する」は脈々と現在に受け継がれ、改めてその素晴らしさを実感するところです。私たちはこれからも自分自身を常に高めていく努力をしていきたいものです。

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